JUST FANCY

韓国アイドルとK-POPにまつわるあれそれ

【韓国アイドル】アイドルファンとしての私

f:id:JUSTFANCY:20190816152515p:plain

 

私は私のためにヲタクをしているとよく言う。

"アイドルのファン"という趣味を持ってからもう随分と経つが、最初から今までファンになるのもCDを買うのもステージを観るのもコンテンツをチェックするのもイベントに参加するのも手紙を書くのもプレゼントをあげるのも全て私がやりたいから、私が楽しいから、私のためにやっている。気乗りしなくてやりたくない時はやらないし、推しのためになるか、推しが喜ぶかどうかは二の次なので(もちろん常識的な配慮はする)実に利己的だといえる。

何を当たり前なことを。根本的にはみんなそうだろうと思われるかもしれないが、ファンを続けているといつの間にかその意識が薄まることがあるように思う。

 

例えば推しを増やすことの抵抗感、推すのを辞めることの罪悪感がある人は「自分のため」ではなく「推しのため」に応援しているという感覚が少なからずあるのではないだろうか。推しにとっての自分は大勢の中の1人にしか過ぎないのに、まるで自分の行動が推しに大きな影響を与えるかのような錯覚もあるかもしれない。

 

複数のアイドルを応援しているような所謂"雑食ファン"は毛嫌いされがちである。しかし私は「なんと大袈裟な。アイドルはお前の生涯の伴侶か何かか?」と思ってしまう。人生においてたった一人の誰かに決めなくてはいけないのは結婚する時だけだろう。だって婚姻届には相手の名前を書く欄がひとつしかないからな。仕方ない。

ファンが応援するアイドルを一人に絞ったとしても、推しは感謝するファンを自分一人に絞ってはくれないのにやたらと操を立てたがる人がいるが(それはそれで崇高な精神であるしアイドル側も喜ぶだろうから否定する気はないが)他のファンにまで強要するのはナンセンスだ。Aくんの他にBくん、Cくんというアイドルが好きだとしても、それぞれの推しをマナーを守って応援し迷惑さえ掛けなければ何の問題もない。

見てるうち接しているうちに趣味の域を超えて一人の人間として思い入れを抱いてしまう気持ちは分かる。それでもあくまで勝手に好きになって勝手に応援している身。アイドルは職業であり友人でも恋人でもない事実は変わらないし一生今のままの関係を継続することも不可能。

だったら「推しを選ぶ自由」というファンに与えられた貴重な権利は気兼ねなく行使してもいいはずだ。

私が推しにたくさん会いたいからたくさんCDを買ったらそこそこ売り上げに貢献できた。私が見たいから駅広告を出したら宣伝効果があり推しの名前に箔がついた。そんな風に私のためにやったことが結果として「推しのため」にもなっているのが理想だと思っている。

 

私にとってアイドルのファンとして過ごすこと、即ちヲタ活はゲーム感覚に近い。私の目の前に大きな画面が広がっていて、推しはそこに登場する架空のキャラクターだ。

アイドルは偶像崇拝の対象であり夢を見る存在だから異次元の人物でいて欲しいという願望がそう思わせるのかもしれない。夢を叶えるまでの汗と涙の努力、念願のデビュー、思いがけないスキャンダル、それら全てが物語のようで面白い。舞台裏の苦労を見せずにキラキラした衣装を纏ってスポットライトを浴びる姿はこの世のものではないようで眩しい。

しかしただ一方的に見るだけではなくファンというキャラクターでその世界に介入でき、こちらの選択肢や課金額に応じて推しの反応や関係が変化するため映画やドラマではなくゲームと表現した。

途中で飽きて放り出したゲームも数多くある。それでもいつかEDまで見たくなるゲームがあるのではと期待しながら今日も私は私らしく私のためにアイドルのファンでいようと思う。

f:id:JUSTFANCY:20190704164825p:plain