JUST FANCY

韓国アイドルとK-POPにまつわるあれそれ

私が一番ヲタクだった頃の話

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昔話をしようと思う。

私が一番ヲタクだった頃の話。人生で一番アイドルにお金と時間を費やしていた頃の話。

 

当時の推しのことはこれまでずっと"元推し"と表現していたが、便宜上Aくんと呼ぶことにする。Aくんの正体は親しい友人以外に明らかにする気はない。

 

Aくんと初めて出会った時、彼はまだ練習生だった。練習生とはオーディションやスカウトを通じて芸能事務所に所属したのち、歌やダンスのレッスンを受けながらデビューを目指すアイドルの卵。ジャニーズでいうところのジャニーズJr.である。

 

韓国アイドル界ではここ数年練習生を対象とした大型サバイバル番組が続々と放送され、その過程で既にデビューしているアイドルと変わらない、むしろそれ以上の知名度や人気を得た練習生も数多くいる。そのため「練習生ファン」というのも珍しくなくなった。

しかし私がAくんを応援していた頃はまだ練習生と練習生ファンはもっとマイナーというか、正式にデビューが決まってメンバーとして公開されるまではどちらかというと日陰の存在だった。*1なのでSNSを駆使したり、コネやツテを辿って何とか情報収集していた。

 

Aくんのことを知ったキッカケもまあコネだった。初対面はキャップとマスクで顔のほとんどが隠れていたけれど隙間から覗く意志の強い瞳が印象的で、目が合った瞬間に絶対に好きだと確信した。僅か5分で書き上げた手紙を差し出して「ファンになってもいいですか?」と聞くと、Aくんは小さく驚きながら「はい」と頷いてくれた。

 

それからはひたすら日本と韓国を往復する生活。日本には授業とバイトのためだけにとりあえず帰っているようなものだった。韓国にいる間は毎日Aくんに会いに行った。Aくんの練習室と宿舎は徒歩で移動出来る距離だったため、帰りはいつも一緒に宿舎まで歩いて帰った。とはいえマンションの敷地内に入ることは暗黙の了解で絶対にしなかった。私だけではなく他の練習生のファンもみんな必ず正門前で別れた。Aくんは夜遅くなった日は遠回りをして必ず駅まで送ってくれた。

ただ他愛もない話をしながら時折思い出したように「頑張ってね」と言うだけの"応援"の日々だったけれど、ダイヤの原石を一足早く見つけたような高揚感と、他には誰も知らないという優越感が私の承認欲求を満たしていた。

 

Aくんは当時高校生という年齢の割に落ち着いていて、クールで真面目なタイプだった。デビューすることになった時はこれまでの感謝とこれからの抱負を聞かせてくれた。やっぱり真面目だなあ、なんて思いながら相槌を打っていたら、すごく言いにくそうに、そしてとても申し訳なさそうに、「デビューしたらきっと今までのようにはしてあげられない」というようなことをぽつりぽつりと吐き出された。

経緯は省くけれど、私はAくんと連絡先を交換していた。と言ってもやましい関係になったわけではない。「今日は何時に終わるよ」「来週はテストだから練習室には行かないよ」というような報告(当てもなく待たせないため、無駄足を踏ませないための彼なりの配慮)に、雑談が混じった程度の健全な内容。それでもファンとの"私的な繋がり"はタブーだろう。言われるまでもなく理解していた。「大丈夫だよ。分かってるよ」と努めて明るく伝えたけれど、彼はまだ申し訳なさそうな表情を崩さずに首を振る。

 

どうやら色んな意味で私だけ特別扱いをすることは出来ないと思うと言いたかったらしい。話すことがそんなに得意ではない彼の真意を必死に汲み取った。バカだなあ。そんなの当たり前じゃないか。君はもう練習生じゃなくなる。たくさんのファンが出来る。みんなの"アイドル"になるんだから。

普通なら悲しがるところなのかもしれないけど、私の推しはアイドルという職業に真摯に向き合っているのだと感じられて誇らしかったし嬉しかった。私はもう一度「大丈夫だよ。分かってるよ」と繰り返した。Aくんは結局その日ずっと申し訳なさそうだった。

 

デビューした後、ファンも参加出来るスケジュールというスケジュールは皆勤した。地方も国外もついて行った。今でこそ予定が合えば行く~行けるところは行く~という緩いスタンスになったけど、当時は予定はこじ空ける精神だった。カメラも新調して、高価なプレゼントもして、掲載されたメディアは漏れなく全部チェックして、お金も時間も湯水の如く消えて行った。

移動の飛行機は同じ便を利用したし、滞在先のホテルも同じところに泊まった。もちろんこれはAくんを始めとしたメンバー達やスタッフ達ともそれなりに親しく、前述したコネもあったから許されていたようなもので、そうでなければ事務所の方針によってはサセン*2認定されブラックリスト入り=追放されるのでよいこは真似をしないように。

 

Aくんは特別扱い出来ないと言ったけれど、周りをファンに囲まれるようになって私が近づけないでいると、それに気づいて必ず振り返ってくれた。手紙を渡すという口実があればそういう場でも声を掛けやすいので、いつも先に手を差し出してくれた。冗談で「今度全身私のプレゼントで固めて欲しい」と頼んだ時は本当に私のプレゼントでコーディネートしてくれた。どんなに席が遠くても「後ろから3列目に居たの見えた」と律義に報告してくれた。それだけで十分ファンとして幸せだった。

 

他のファンとの揉め事もなかったわけじゃない。やたらと敵意をむき出しにされる中国人のファンとは犬猿の仲だった。同じ日本人のファンには私のあることないこと悪く書かかれた手紙をAくんに渡されたことがある。正直この時は自信がなかった。その子はA君の前では猫を被っていたし、私のことを信じてもらえるだろうか。ずっと気になっていたけど、Aくんの態度はいつもと変わらなかった。そして後日、たまたま他のメンバーからその子が私に嫌がらせされているとAくんに相談している場面に居合わせたこと、Aくんは「そんな子じゃない」と一蹴していたことを聞いた。普段は涙腺がダイヤモンドのように硬い私でも思わず鼻の奥がツンとした。

 

愛嬌がある方ではないし、気の利いたアイドルらしい台詞を吐いてくれるわけでもない、それでも間違いなく最高の推しだった。

 

 

しかしAくんのファンとしての終わりは突然訪れた。

 

詳細は伏せるけれど、あっけなかった。自分の意志でどうこうできる状況ではなかったため、最後にこれまでの感謝の想いをしたためたメッセージを送った後、Aくんの連絡先を消した。いや、AくんだけではなくAくん関連で親しくしていた人達全員との関係を絶った。Aくんのファンとしての私を消したのだ。

 

その後は友人に誘われるまま新しい推しを求めていくつかの現場に足を運んだものの、どれもピンとこずそのまま静かにヲタクを引退した。

 

 

………まあ華麗に復活を遂げたからまたこうしてヲタクをしており、今は今で楽しくしがないヲタクをやっているわけだけど、あの頃は、Aくんという推しは私にとって唯一無二だと思う。私はもう大人になってしまったから、同じだけのお金と時間は使えないし、同じだけの情熱も注げないし、同じだけの夢も見られない。

私が一番ヲタクだった頃は、もう取り戻せない青春の思い出として、記憶の片隅に残り続ける。

*1:もちろん今でもメディア露出のない練習生=非公開練習性はたくさんいる。

*2:ストーカーまがいな追っかけファンのこと。